› 久米島高校 離島留学生の日々 @じんぶん館 › 2019年04月
2019年04月30日
高校三年生になって一ヶ月、離島留学を振り返ってみた!!
ハイサイ!!寮生のロメルです!
早いものでこの私も、もう高校三年生。受験勉強で忙しい時期ですが、息抜きも込めて少し「離島留学」を振り返ってみようと思います。
1、久米島を選択した時のこと
中学三年生のちょうどこの時期、私は当然のごとく進路に悩んでいました。中学時代バスケット部だった私は都内でバスケ部が強いところなどを考えていました。それでもなんだか高校を決めきれない私に、父が「久米島高校離島留学」の記事を見せてくれました。最初の印象は、「楽しそう!」くらいの感じでした。そして、見学をしに久米島に行くことを決めました。
久米島に来た時、久米島の風や土地の香り、大自然に魅かれたのをよく覚えています。そして私は理屈抜きで、久米島に来ることを決めました。「直感」でした。私は、この選択は正解だったと思っています。だってこんなに楽しんでいるのだから。
今思えば、「直感」に従ったから正しい選択ができたんだと思います。なぜそう思うのか、掘り下げてみようと思います。
直感というものがなぜ正しいのか、一見、雑で適当に見える「直感」ですが、実はかなり妥当なものだと思うのです。それは直感で選んだものが本当に自分がやりたいものだからです。いったんゼロに戻って何がしたいのかを頭というよりは身体全部を使って判断する。その時果たして「やりたくないもの」を選ぶでしょうか。
「直感」の反対語は「推論」。であるならば、「推論」についても考えてみたいと思います。
「直感」の辞書的意味は
○説明や証明を経ないで、物事の真相を心でただちに感じ知ること。
「推論」の辞書的意味は
○推理・推察によって論を進めること。
ここで、私が「直感」ではなく、「推論」によって高校の進路を決めていたらどうなったか考えてみます。
まず、久米島高校に入った後のことを推理するでしょう。そこでは、いろんな心配が出てきます。1人で生活できるだろうか。勉強が、違う環境になってできるだろうか。友達はできるだろうか。
不安だらけの私は、安全策をとって久米島に来なかったかもしれません。
少し、ネガティブな「推論」になってしまいました。では、ポジティブな観点からも推理してみましょう。
久米島高校に入ったら、普通の高校生とは違う体験ができる。経験がつめる。そう考えた私はそのまま久米島高校に進学を決めたでしょう。この「推論」は、「直感」で選んだ選択と結果は同じです。(久米島を選ぶという)
これら二つの「推論」に、私は大事なものが欠けている気がするのです。それは、私が本当に久米島に行きたいかどうかです。物事を推理・推察で考えるとどうしても客観的に見て、得するか損するかで決めがちです。そのような時、その人がそれを本当にしたいかどうかはどうでもいいのです。
先程私は「直感」が正しいと言いました。その正しさというのは自分に対して正しい。つまり、自分に正直だということです。「直感」で重要なのは、自分が本当にやりたいかどうか。
今、私は大学進学で迷っていることがあります。中学生の時も、選択に迷い、また高校生になっても迷う。おそらく大人になっても迷うことばかりでしょう。そんな時に久米島を選んだ時のことを思い出して「直感」に従ってみようと思います。自分に正直に生きる。久米島で学んだちょっとした「じんぶん」の一つです。
早いものでこの私も、もう高校三年生。受験勉強で忙しい時期ですが、息抜きも込めて少し「離島留学」を振り返ってみようと思います。
1、久米島を選択した時のこと
中学三年生のちょうどこの時期、私は当然のごとく進路に悩んでいました。中学時代バスケット部だった私は都内でバスケ部が強いところなどを考えていました。それでもなんだか高校を決めきれない私に、父が「久米島高校離島留学」の記事を見せてくれました。最初の印象は、「楽しそう!」くらいの感じでした。そして、見学をしに久米島に行くことを決めました。
久米島に来た時、久米島の風や土地の香り、大自然に魅かれたのをよく覚えています。そして私は理屈抜きで、久米島に来ることを決めました。「直感」でした。私は、この選択は正解だったと思っています。だってこんなに楽しんでいるのだから。
今思えば、「直感」に従ったから正しい選択ができたんだと思います。なぜそう思うのか、掘り下げてみようと思います。
直感というものがなぜ正しいのか、一見、雑で適当に見える「直感」ですが、実はかなり妥当なものだと思うのです。それは直感で選んだものが本当に自分がやりたいものだからです。いったんゼロに戻って何がしたいのかを頭というよりは身体全部を使って判断する。その時果たして「やりたくないもの」を選ぶでしょうか。
「直感」の反対語は「推論」。であるならば、「推論」についても考えてみたいと思います。
「直感」の辞書的意味は
○説明や証明を経ないで、物事の真相を心でただちに感じ知ること。
「推論」の辞書的意味は
○推理・推察によって論を進めること。
ここで、私が「直感」ではなく、「推論」によって高校の進路を決めていたらどうなったか考えてみます。
まず、久米島高校に入った後のことを推理するでしょう。そこでは、いろんな心配が出てきます。1人で生活できるだろうか。勉強が、違う環境になってできるだろうか。友達はできるだろうか。
不安だらけの私は、安全策をとって久米島に来なかったかもしれません。
少し、ネガティブな「推論」になってしまいました。では、ポジティブな観点からも推理してみましょう。
久米島高校に入ったら、普通の高校生とは違う体験ができる。経験がつめる。そう考えた私はそのまま久米島高校に進学を決めたでしょう。この「推論」は、「直感」で選んだ選択と結果は同じです。(久米島を選ぶという)
これら二つの「推論」に、私は大事なものが欠けている気がするのです。それは、私が本当に久米島に行きたいかどうかです。物事を推理・推察で考えるとどうしても客観的に見て、得するか損するかで決めがちです。そのような時、その人がそれを本当にしたいかどうかはどうでもいいのです。
先程私は「直感」が正しいと言いました。その正しさというのは自分に対して正しい。つまり、自分に正直だということです。「直感」で重要なのは、自分が本当にやりたいかどうか。
今、私は大学進学で迷っていることがあります。中学生の時も、選択に迷い、また高校生になっても迷う。おそらく大人になっても迷うことばかりでしょう。そんな時に久米島を選んだ時のことを思い出して「直感」に従ってみようと思います。自分に正直に生きる。久米島で学んだちょっとした「じんぶん」の一つです。