› 久米島高校 離島留学生の日々 @じんぶん館 › 2018年06月
2018年06月19日
【久米島離島留学】ハーリー大会
ハイサイ
先日、久米島の字儀間のハーリー大会に参加しました
ハーリーって何??って思う方もいるかもしれません。
ハーリーとは、沖縄の伝統行事で
航海安全や豊漁を祈願して、競漕を行うことです!
台風で決行すら怪しかったのですが、みんなの元気で台風を吹き飛ばすことができたみたいです!!
当日の様子をお送りします
多くの保護者が来島して下さったことにより特別マッチとして寮生チーム対保護者チームの競漕でした!
いざ出航!
奥の赤い船が寮生、黄色い船が保護者チームです!
さぁ、レースの様子は、、、?
スタート!!
折り返しです
勝利は保護者チーム
保護者チームの折り返し以降の速さには驚きました!
寮生も最後までお疲れ様!カッコよかったよ
レースに出てない間は、子供達にかき氷の無料配布の手伝いです!
真剣な表情
一生懸命漕いだ後のいい笑顔!
いい思い出になったね!
保護者の皆様も足元の悪い中のご来島、ありがとうございました。
先日、久米島の字儀間のハーリー大会に参加しました
ハーリーって何??って思う方もいるかもしれません。
ハーリーとは、沖縄の伝統行事で
航海安全や豊漁を祈願して、競漕を行うことです!
台風で決行すら怪しかったのですが、みんなの元気で台風を吹き飛ばすことができたみたいです!!
当日の様子をお送りします
多くの保護者が来島して下さったことにより特別マッチとして寮生チーム対保護者チームの競漕でした!
いざ出航!
奥の赤い船が寮生、黄色い船が保護者チームです!
さぁ、レースの様子は、、、?
スタート!!
折り返しです
勝利は保護者チーム
保護者チームの折り返し以降の速さには驚きました!
寮生も最後までお疲れ様!カッコよかったよ
レースに出てない間は、子供達にかき氷の無料配布の手伝いです!
真剣な表情
一生懸命漕いだ後のいい笑顔!
いい思い出になったね!
保護者の皆様も足元の悪い中のご来島、ありがとうございました。
2018年06月03日
【久米島離島留学】佐藤優氏講義をきいて
ハイサイ!寮生のロメルです!
今日は佐藤優氏の講義を聴きました。場所はここじんぶん館で、講義は途中休憩を挟みながらも3時間に及びました。今日の題目は「未来を生きるための歴史授業」でしたが、歴史だけに限らず人生において大切なことを教えてもらいました。
なぜ学校で勉強するのか。これを最初に問いかけられました。色々な話をしてもらった中で特に印象に残っているのは佐藤さんのお母さんが体験した沖縄戦の話です。
佐藤さんのお母さんは戦争中、軍属にいたといっていました。その中で沖縄戦のときは、ガマ(洞窟)に身を潜めていた時期があったそうです。そのガマには民間人2名に兵隊が5、6名いたそうです。ガマでは水を汲みに行ったりするために外に出ることも多く、その時に米兵に見つかる可能性も十分ありました。 日本軍の命令では、「民間人でも米兵に見つかったらガマに戻ることなく、その場で自決しなさい。捕虜になったら女や子供は耳や鼻を削ぎ取られ最後は目をえぐられるぞ。」と言われていたそうです。佐藤さんのお母さんも手榴弾を2つ持たされていたと言っていました。1つは不発だった場合の予備に。ある日、外に出ていた日本兵が運悪く米兵に見つかってしまいます。その日本兵はその場で自決することなく、ガマに戻ってきました。日本兵が戻ってきてからしばらくすると、ガマの入り口の方に米兵二人が来たそうです。一人の米兵がカタコトな日本語で「コロシマセン、デテキテクダサイ」と喋りかけてきました。
佐藤さんのお母さんは手榴弾の安全ピンを抜きました、そしてその手榴弾を叩こうとした時、隣にいた日本兵が耳打ちをしました。「死んではいけない、生き残るんだ。捕虜になれば生き残れる、戦争には国際法というのがあって、捕虜を殺してはいけない、アメリカはそれを守っている。捕虜になるんだ」この言葉を聞いた佐藤さんのお母さんは手榴弾を地面におき、捕虜になったそうです。耳打ちをした日本兵は、軍隊に入る前は今の東京外国語大学に当たる東京外事専門学校に通っていたそうです。彼はそこで国際法などを学んだ。
佐藤さんのお母さんはいわゆる教育ママではなかったけれど、高等教育だけは絶対に受けなさいと佐藤さんに強く言っていたそうです。世の中が変わればみんなが言っていることも変わる、その中で信じられるのは自分が学んできたもの、学問だけなんだと。実際に佐藤さんのお母さんは国際法を学んでいた日本兵に助けられています。生き抜いて行くには学問がとても大切なのだと感じました。
今の日本では学力を偏差値で判断します。佐藤さんは偏差値なんかでは学力は測れないと言っていました。そしてこの久米島では、偏差値では測れない本当の学力(未来を生き抜いて行くための力)というものを身につけられる環境が、しっかりとあると。
私自身それを実感しています。うまくは説明できませんが、自分の中で確実に東京にいた頃とは違った判断基準、価値観、感性が芽生えています。それは案外小さなことだったりします、海を見て綺麗だなと思ったりすることや、星を見ることで何かホッとしたり、こんなことは東京ではありえません。まず星なんて見えないのですから(笑)。この自然を見て何かを感じる感性のことを、「沈黙の春」を描いたことで有名なレイチェル・カーソンは「センス・オブ・ワンダー」と言っています。「センス・オブ・ワンダー」なんてまさに私にとっては新しい感性、価値観そのものでした。では、この「センス・オブ・ワンダー」を東京の人、とくに中央政府の人も持っていたらどうなるでしょうか。今沖縄県の名護市にある辺野古では、中央政府が米軍の基地建設を推し進めています。その影響で、辺野古周辺の綺麗だった海はどんどん汚されていっている状況です。「センス・オブ・ワンダー」を持っている人からすれば、これは大いに間違っている行為です。地元の人やこの行為に対し危機感も持つ人たちは反対運動を必死で行なっています。しかし中央政府には響かない。なぜか、私は思いました。彼らには「センス・オブ・ワンダー」がないのだと。もちろん、ほかに政治的問題での理由は沢山あるでしょう。しかし、その前に根本的な人間の判断基準、そこに欠損があるのだと思います。自然を壊してはいけない、こんなことみんな知っているのです。しかし本当に理解してる人は少ないと思います。本当に理解するには触れないといけない、学ばないといけないのです。そしてこれを学んだかどうかは偏差値では測れません。
私は今高校2年生で、久米島にいれるのはあと1年半くらいです。今回の講義を聴いて、これからしなくてはいけないことを再確認できたような気がします。それは1つ1つの体験を疎かにせず大切にすることです。この離島留学は言ってみれば、「未来を生き抜いて行くための学問」を学ぶ旅です。この旅を終えた時、偏差値では測れない本物の学力が身についていれば、この旅は成功かな、なんて思ったりしています。旅が成功するよう日々頑張って行こうと思います。
今日は佐藤優氏の講義を聴きました。場所はここじんぶん館で、講義は途中休憩を挟みながらも3時間に及びました。今日の題目は「未来を生きるための歴史授業」でしたが、歴史だけに限らず人生において大切なことを教えてもらいました。
なぜ学校で勉強するのか。これを最初に問いかけられました。色々な話をしてもらった中で特に印象に残っているのは佐藤さんのお母さんが体験した沖縄戦の話です。
佐藤さんのお母さんは戦争中、軍属にいたといっていました。その中で沖縄戦のときは、ガマ(洞窟)に身を潜めていた時期があったそうです。そのガマには民間人2名に兵隊が5、6名いたそうです。ガマでは水を汲みに行ったりするために外に出ることも多く、その時に米兵に見つかる可能性も十分ありました。 日本軍の命令では、「民間人でも米兵に見つかったらガマに戻ることなく、その場で自決しなさい。捕虜になったら女や子供は耳や鼻を削ぎ取られ最後は目をえぐられるぞ。」と言われていたそうです。佐藤さんのお母さんも手榴弾を2つ持たされていたと言っていました。1つは不発だった場合の予備に。ある日、外に出ていた日本兵が運悪く米兵に見つかってしまいます。その日本兵はその場で自決することなく、ガマに戻ってきました。日本兵が戻ってきてからしばらくすると、ガマの入り口の方に米兵二人が来たそうです。一人の米兵がカタコトな日本語で「コロシマセン、デテキテクダサイ」と喋りかけてきました。
佐藤さんのお母さんは手榴弾の安全ピンを抜きました、そしてその手榴弾を叩こうとした時、隣にいた日本兵が耳打ちをしました。「死んではいけない、生き残るんだ。捕虜になれば生き残れる、戦争には国際法というのがあって、捕虜を殺してはいけない、アメリカはそれを守っている。捕虜になるんだ」この言葉を聞いた佐藤さんのお母さんは手榴弾を地面におき、捕虜になったそうです。耳打ちをした日本兵は、軍隊に入る前は今の東京外国語大学に当たる東京外事専門学校に通っていたそうです。彼はそこで国際法などを学んだ。
佐藤さんのお母さんはいわゆる教育ママではなかったけれど、高等教育だけは絶対に受けなさいと佐藤さんに強く言っていたそうです。世の中が変わればみんなが言っていることも変わる、その中で信じられるのは自分が学んできたもの、学問だけなんだと。実際に佐藤さんのお母さんは国際法を学んでいた日本兵に助けられています。生き抜いて行くには学問がとても大切なのだと感じました。
今の日本では学力を偏差値で判断します。佐藤さんは偏差値なんかでは学力は測れないと言っていました。そしてこの久米島では、偏差値では測れない本当の学力(未来を生き抜いて行くための力)というものを身につけられる環境が、しっかりとあると。
私自身それを実感しています。うまくは説明できませんが、自分の中で確実に東京にいた頃とは違った判断基準、価値観、感性が芽生えています。それは案外小さなことだったりします、海を見て綺麗だなと思ったりすることや、星を見ることで何かホッとしたり、こんなことは東京ではありえません。まず星なんて見えないのですから(笑)。この自然を見て何かを感じる感性のことを、「沈黙の春」を描いたことで有名なレイチェル・カーソンは「センス・オブ・ワンダー」と言っています。「センス・オブ・ワンダー」なんてまさに私にとっては新しい感性、価値観そのものでした。では、この「センス・オブ・ワンダー」を東京の人、とくに中央政府の人も持っていたらどうなるでしょうか。今沖縄県の名護市にある辺野古では、中央政府が米軍の基地建設を推し進めています。その影響で、辺野古周辺の綺麗だった海はどんどん汚されていっている状況です。「センス・オブ・ワンダー」を持っている人からすれば、これは大いに間違っている行為です。地元の人やこの行為に対し危機感も持つ人たちは反対運動を必死で行なっています。しかし中央政府には響かない。なぜか、私は思いました。彼らには「センス・オブ・ワンダー」がないのだと。もちろん、ほかに政治的問題での理由は沢山あるでしょう。しかし、その前に根本的な人間の判断基準、そこに欠損があるのだと思います。自然を壊してはいけない、こんなことみんな知っているのです。しかし本当に理解してる人は少ないと思います。本当に理解するには触れないといけない、学ばないといけないのです。そしてこれを学んだかどうかは偏差値では測れません。
私は今高校2年生で、久米島にいれるのはあと1年半くらいです。今回の講義を聴いて、これからしなくてはいけないことを再確認できたような気がします。それは1つ1つの体験を疎かにせず大切にすることです。この離島留学は言ってみれば、「未来を生き抜いて行くための学問」を学ぶ旅です。この旅を終えた時、偏差値では測れない本物の学力が身についていれば、この旅は成功かな、なんて思ったりしています。旅が成功するよう日々頑張って行こうと思います。